こんにちは、ししゃもです。
遠野なぎこさんの自宅から遺体が発見されたというニュースを見て感情が引っ張られたのか自分と重ねてしまったのか、過去をあれこれ思い出してテンションだだ下がり中のししゃもです、、、
ご遺体はご本人なのかな…?
数年前に遠野さんが過去に受けた虐待の話をテレビでしているのを何気なく見ていたししゃも。
当時にタイムスリップしたかのように苦しくなったので、それ以来トラウマに蓋をするように遠野さんがテレビに出ていても見ないようにしていました。
見ないようにはしていても、ふとしたときにテレビで見る姿は何年経っても辛そうで、同じような経験をした私から見ても “今も抜け出せずに苦しいんだろうな…” となんとも言えない気持ちになりました。
虐待が精神的・身体的に長期に渡って与える影響をいざ目の当たりにすると、自分もいつバランスを崩すかわからないな…と不安になるので見るのを避けていたのもあります。
今回のニュースでそういった不安や、蓋をしていた自分の母親や義父のことなどが竜巻のように一気にブワッと出てきて、久々に負の感情の渦に押し負けそうになりました…
私は自分の過去の経験は “運が悪かっただけ。理不尽だったけど仕方がない” と考えているので普段はあまり気にせず、過去にも囚われないようにしています。(たまにこうやって不意に思い出して落ち込むこともあるけど…)
たまたま私だっただけ、たまたまそこに生まれ育っただけ。恨んでも泣いても過去は変わらないし、せっかく縁を切ったのに記憶や思考の中でまで母親や義父とかかわりたくないので辛い記憶はなるべく手放して今の自分を幸せにしようと思っています。
過去の経験を通して唯一良かったと思えたのは旦那や親友・友達など、自分の周りの人が自分と同じ経験をしていなくてよかった…と思えたこと。
大切な人達が元気に笑っていたり家族と仲が良いのを見ると少し羨ましく、寂しさを感じるときもありますが、何より “この人達が辛い思いをせず愛されて育ってよかった” と安心します。
愛情を知っている人達だからこそ自分だけじゃなく私にも愛情を与えてくれたので。
もちろん学生の頃はとにかく辛さから逃れたかったので、「理解してほしい!私にどんな辛く悲しいことがあったのか知って欲しい!」と思っていたし他人を妬ましく思ってしまうこともありました。
1人では受け止めきれなくて、人に話すことで “辛さを共有したい、理解してほしい、孤独から抜け出したい” と本気で願っていました。
でも、ししゃもは学生時代のある日に気が付いたんです…
過去の話するのめっちゃしんどい!!!
ということに、、、
過去の話をする度に当時の光景や空気感まで鮮明に呼び起こされて心臓はバクバク、胃は縮こまり吐き気もして気分は最悪…
私が気分最悪なんだから聞いてる側も気分が良いはずがない。話を聞いたところで返答の難易度が高すぎる…笑
どうせなら一緒にいてくれる人には面白い話や楽しい話で笑わせたいし自分も笑いたいなぁ…と思うようになり、それからは過去の話をほぼしなくなったので結果的に自分で辛い体験を思い出す頻度も減り精神的に楽になりました。
たまに聞かれて過去や家族の話をするときには自分がしんどくない程度の笑って話せる話しかしないです。
ドロドロの不幸話を聞きたがる人もごく稀にいますが、自分を苦しめてまで話題を提供する義理もないのでそういう人は適当にあしらって距離をとり心の平穏を保っています。
フラッシュバックは正直今もありますが、フラッシュバックが起きたところで “あー、はいはい” って感じです。道端でう◯こ見つけたくらいの感覚です。(例えが最低ですみません…)
気になってまじまじと見たら嫌な気分になる。かと言ってわざわざ片付けられるほどできた人間じゃない。なので、ししゃもはフラッシュバックも道端のう◯こも見なかったことにしてやり過ごしています 笑
だんだんフラッシュバックの頻度も減ってきたので深く真面目に考えるよりもスルーするくらいの方が私には合っていたのかな?
暗い過去に決別したい!とじっくり向き合ったこともありますが、トラウマと向き合うことはとにかく苦痛で精神に限界を感じたので…
“起きたことは気にしない”
“どうにもならないことは考えない”
言い方は悪いですが、過去からは逃げて現在と未来に目を向けるようにしながら生きています。
今日みたいに色々と思い出して気分が落ち込む日にはあえて人と会って会話をしたり、好きなものを食べたり、猫1・2をもふもふしたり…と思考が現在にいられように意識して過ごそうと思います。
よし、今日はチートデーだ!!笑